豊橋競輪場

まくる君の部屋

競輪酒場「郷愁劇場」


第一話 まくる君語録「まくる君だもの」
第ニ話 煩悩対談「菖蒲の部屋」
第三話 競輪酒場「郷愁劇場」
  第一夜 昔の競輪場
  第二夜 開場ラッシュ
  第三夜 閉鎖された競輪場
  第四夜 競技自転車
  第五夜 脚質:「逃」「両」
  第六夜 脚質:「追」
  第七夜 車券戦術:連単・連複
  第八夜 車券戦術:ナガシ・ボックス
  第九夜 選手の心理
  第十夜 豊橋競輪を考える
第四話 目隈蓮太郎「蓮太郎が行く」

いつも競輪場の三角スタンドからバンクを見つめる男 大外郷愁。
そのミステリアスな競輪哲学を紐といて、今日も競輪を熱く語ります。

第三夜:閉鎖された競輪場

さびしい郷愁やあ皆さん、競輪酒場「郷愁劇場」へようこそ。お相手は競輪哲学詩人『大外郷愁』。
今夜のテーマは『閉鎖された競輪場』、今日もお客は入っていないようです。

一時のブームで雨後のタケノコの如く林立した競輪場、その数63場。だたし最後の静岡が開設した時点には既に松本が閉鎖されていたのじゃ。今夜は全国に過剰に林立した競輪場が整理されていく様子をお話しよう。

全国11番目の競輪場として昭和24年(1949)8月に開場した松本競輪場じゃが、経営不振を理由に昭和26年(1951)11月閉鎖となり、わずか2年2ヶ月の歴史に幕を降ろした。しかしそこには経営不振もさることながら、公営とはいえ賭け事の施設を地域に置きたくないと言う地域の反発があったともつたえられているのじゃ。

その後昭和28年(1953)に松江、昭和30年(1955)に豊中、昭和33年(1958)京都(宝ヶ池)、昭和36年(1961)札幌・神戸・明石、昭和37年(1962)大阪中央・福岡、昭和38年(1963)会津、昭和39年(1964)大阪住之江、昭和42年(1967)長崎、昭和48年(1973)後楽園と、20数年の間に13場が立て続けに閉鎖されたものの、残った50場はそのまま21世紀を迎えるまで揃って存続することになるのじゃ。

なおこれまでに閉鎖された13場をみてみると、まずは関西地区に集中しすぎていたことが見て取れるのぉ。また比較的大きな都市の競輪場が姿を消しているのもわかるじゃろう。これは戦後の復興の原動力として力のある自治体が積極的、かつ安易に競輪を取り入れたものの、ある程度状況が整うと近隣の環境保全のため競輪場不要論が持ち上がってきたためと容易に想像されるの。一方で小さな自治体、それも観光産業が主な自治体の競輪場などは、集客のため協力して頑張って競輪場を開設したこともあって、地域の理解も深いものと思われるのじゃ。

競輪50場という時代が長く続き、全国競輪行脚として全50場で競輪を打つ事を目標にするファンも多かったのじゃが、平成14年(2002)に門司・西宮・甲子園が閉鎖され47場となってしまい、今では叶わぬ夢となってしまったのじゃ。

今日は寂しい気分じゃ、暖簾をしまって寝るとしようかの。