豊橋競輪場

まくる君の部屋

競輪酒場「郷愁劇場」


第一話 まくる君語録「まくる君だもの」
第ニ話 煩悩対談「菖蒲の部屋」
第三話 競輪酒場「郷愁劇場」
  第一夜 昔の競輪場
  第二夜 開場ラッシュ
  第三夜 閉鎖された競輪場
  第四夜 競技自転車
  第五夜 脚質:「逃」「両」
  第六夜 脚質:「追」
  第七夜 車券戦術:連単・連複
  第八夜 車券戦術:ナガシ・ボックス
  第九夜 選手の心理
  第十夜 豊橋競輪を考える
第四話 目隈蓮太郎「蓮太郎が行く」

いつも競輪場の三角スタンドからバンクを見つめる男 大外郷愁。
そのミステリアスな競輪哲学を紐といて、今日も競輪を熱く語ります。

第六夜:脚質:「追」

オークション郷愁やあ皆さん、競輪酒場「郷愁劇場」へようこそ。お相手は競輪哲学詩人『大外郷愁』。
今夜のテーマは『脚質:「追」』。今日もお客の姿は見当たりません。

先回脚質「逃」「両」について語ったので今回はやっぱり「追」について語らんわけにはいかんのう。わしには追い込み選手の経験は無いので、推測でものを言う事になるので、それは最初にお断りしておくでのう。

「追」の選手のなかには、もう自力では勝負できないからラインの後方を追走します、という消極的な「追」と、自力は封印して横の動きでラインをサポートし、ゴール前直線ではキッチリ差しにいきます、という積極的な「追」を切り分ける必要があるのじゃ。消極的な「追」選手とは加齢と共に自力を使う機会が減って「逃」から「両」、そして「追」へと移行したもので、それに伴って横の脚に磨きがかかれば良いのじゃが、横が使えない選手はいくら練習しても使えないと言う場合も少なくないのじゃ。そうなると班級をさげても「逃」で戦いつづけるしかないんじゃのう。一方で、早々に自分の先行力に見切りをつけて、自力で頂点を目指せないのならと若くして「追」に転向し、追い込み選手としての道を極めようとする積極的な「追」選手も増えておるのう。若い選手が年長の先輩選手の後ろを回って、踏み出しは目いっぱい遅くするにしてもゴール線前で交わしにいけるというのは、よっぽど強い心臓とそれを認めさせる脚力があってのことじゃのう。じゃがその手の若手追い込み選手が、時々見せるニ角捲りなどをみると、やっぱりたいした脚じゃと思う反面、だったら初めから自力勝負すればいいのにと思ってしまうのう。

わしの時代などには地域で結束してラインを作るという事すらなく、力のある「追」選手から順に先行力のある「逃」選手の番手を主張していったものじゃから、逆にわかりやすかった気もするのう。そのうち所属地区ごとにラインを構成するのが慣例化すると、地域で関わりの深いライン、特に地元ラインなどに競り込むこともはばかられるような風潮となってしまったのじゃ。このあたりが競輪が人間社会、特に日本的社会の縮図としてたとえられる所以じゃのう。自力選手同士の戦いは脚力勝負が明確じゃが、追い込み選手同士の戦いは身体のぶつかり合いも伴い根性勝負の面も多いのじゃ。自分のラインに攻め込まれれば身体を張って守らなければならんし、足場の無い競争ではキッチリもっとも強い先行選手のラインに競り込まなければ、追い込み選手としての地位は守れないのじゃ。たとえ競り落とされようが、競り込まないよりははるかに良いのじゃ。一見先行選手の後ろを回って、最後にちょっと脚を使うだけの美味しいポジションに感じる「追」選手じゃが、脚質以上に性質的に向き不向きがあるということじゃのう。

オークションで安く落札したローラー台が届いたから、今日は早めに暖簾をしまって、組み立てじゃ。